【ネタバレ】RPGのストーリーと妄想の話

この記事は「幻想水滸伝」とDQのあらすじおよびEDの内容に少々ふれています。
幻想水滸伝って1と4、2と5がセットで好きな人が多い傾向がない?」*1という話がきっかけでそのことをここのところ考えていました。ネット上を見る限りたしかにその傾向は見受けられるような気がしますが、そもそも主張したい層の意見しか表層に出てこない+読み手だって全ての意見に目を通すわけにもいかないし、主観もある。生半可に手を出すとろくなことにならない。という当面の結論が出たのですが、なんとなくもったいないので、個人的に好きなRPGのストーリー傾向なんかの話をすることにします。
わたしは幻水だと「1と4が特に好きな人」です。無個性主人公なのは全作共通ですが、1と4は内面描写は薄め、EDはラスボス倒して当面の問題は終わるものの、主人公の問題は解決しないままに姿を消す。2と5は周囲のキャラクタが主人公の考えをフォローするに余りある発言でナビゲートしてくれる感があり、ベストエンディングを迎えると呪いと力を同時に与えるアイテムの呪縛から解き放たれ、「そして末永く幸せに暮らしました」という予感を与えるお話が用意されています。
おそらくわたしが前者のストーリーにより惹かれるのは、その昔DQ3でプレイヤーとして一緒に冒険を続けてきた勇者が姿を消し、同時にDQ初期三部作をこれ以上ないほどうつくしく閉じた、その衝撃に起因しているのだろうと思います。そして、キャラメイクから始めないといけないRPG*2が自分の原点になったことで、妄想がデフォルトになったという側面もありそうです。行間は大きい方が面白いよ!それも人によって見える世界ががらりと変わるぐらいがいいよ!というレベルで。
そもそも妄想は二次創作としてデフォルトですが、余所様の作品として読むジャンルは原作で世界やキャラクタが丁寧に説明されている作品の方が好きです。土台がしっかりしてる安心感があるというのは大きい。それでもなお、わたし本当にこの人と同じ本(ゲーム)見てたのか?!みたいな二次創作に行き当たるのもまたそれはそれで面白い。オリジナル色の強いジャンルで「これだ!」という作品に出会った時のうれしさや衝撃というのはまた格別なので、これも楽しいんですけどね。
今は、「無限回廊」のキャストは何考えてんだろう。エコーはキャストにとってなんなんだろう。「パタポン」の神になっちゃったPSPの中のわたしは軽率だよなどう考えても。パタポン側も後悔してんじゃね?無双4エンパは呂凱を君主にして三国地図作成プレイしてみようかと画策していますよ(マップ全踏破とかそういう方面で)という感じで遊んでいます。
あらためて書き出してみると、妄人*3になりそうでびっくりした。なんと業の深い。

*1:この時点でかなり乱暴な前提であることは置いておきます。あと今回は3を除外します。

*2:全てのパーティキャラを作って誰を連れて行くか選択するのはプレイヤーの仕事

*3:クーロンズ・ゲート」に出てくる、妄想をしていたところを邪気に取り付かれて半分モノになってしまった人たちの呼称